野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

悪いことする人は一部

面白い記事を見つけた。

 

www.itmedia.co.jp

こちらの記事によると、ある会社が調査したところ、インターネットユーザーの2割ほどが「悪意ある投稿」をおこなったことがあるというデータが出たらしい。投稿後の心理としては「すっとした」が最多の割合。

 

2割を多いと考えるか少ないと考えるかは置いておこう。たが、たかだか2割の人間だけが悪意ある投稿をおこなうだけでも、インターネット上の空間は殺伐としてしまうのかもしれない。しかも、普段良識的な人間が、ときとして悪意あるコメントを投稿することもある。しかも人間の意識は「悪意」にフォーカスしやすい。

 

以前読んだ本のなかに、「人間はポジティブなことよりネガティブなことに3倍強く反応する」というようなことが書かれていた。たった2割の人間がネガティブなことを書いていても、なんだか殺伐として印象を受けてしまうのだろう。

 

人はその人の見たいように世界を見る、とも言われる。「この世は悪いところばかりだ」という意識で世の中を見渡せば、悪いところばかり目に付く。そして、人間はネガティブなものごとに反応しやすい。ますます悪循環にはまりそうだ。

 

だが、実際には良識的な人間の方が、相対的には多いと思う。そうでないと世の中は回っていかないだろうし。だからこそ、そういう人たちの当たり前の日常のなかから、良いものを見つけていくことも必要かもしれない。

プテラノドンと振り子

この世の中には様々な価値観というプテラノドンが乱舞している。そのおしりから尻尾が出ていて、「これを掴め」とばかりに目の前を飛び回る。でも、それを掴んだところでどこに運ばれるのかはわからない。すこしでも、地に足着けたときに有利なようにと、計算が働く。どうやら、うまくいけば、誰からもそしられずに済むらしい。そういう噂を聞いた。

 

生き方なんて、その人間の世界のなかの掟だ。誰に示すものでもないだろう。でも、僕らは同時に理解し合いたい存在だ。だからこそ、「こいつは理解できる」って間柄を求めている。鳥だってずっと飛んでいるわけではない。止まり木が必要だ。だから、同じ掟のなかにいたいこともある。

 

でも、ずっと同じ木に留まっていると退屈になって、ほかの場所に行きたくなる。こうやって、僕らはさまよったり、とどまったり、そのいずれかを繰り返す。それが自然なのだと思う。エゴが働き、それに反発するように、無垢な感情が湧き出る気もして。

 

振り子のようにもう一方からもう一方へ。

僕らは迷いながら、自分の道を歩む。