地方と都市
こんな記事を読んだ。
確かに地元から都市の方へ移ってきた方が世界観は広がりそうである。
情報量も自ずと増えるだろう。
なんとなく考えたことがある。
今回はそれを記そう。
酒場で同じ話を繰り返す人間は本当につまらないのか?
人はそれぞれ価値観を持っている。
そして、見るものが違う。注目するものが違うと言っていい。
「地元」で生活している人たちというのは、たしかに人間関係も固定化されたものになるだろうし、入ってくる情報も都市に住む人間に比べれば画一的なものになるのかもしれない。そんな傾向があったとしても不思議ではない。
しかし、それが本当につまらないことなのだろうか。
無論、都市に移りなにかに挑戦したり、新しいことを発見したりする人間の生き方が尊いものだということは頷ける。
しかし、そもそも地方に住んでいる人間の経済力が基盤にあるからこそ、あるいは彼らの生活があるからこそ、都市に住んでいる人間の生活というものも存続しているのではないか。
そしてまた、「地元」に住んでいる人間だからこそ見えてくるものもあるのではないか。
人はその場所で生きていれればいいと思う
少し極論なのかもしれない。
しかし、僕は最近そう思うのだ。
その場所で生きているだけでも、その人にしか見えないものが見えていたりすると思う。
それは特別な感じがしない。
自分にとっては当たり前すぎる感覚。
それが特別だと感じることはあまりないだろう。それこそ外の世界に出て、少し違った景色を感じなければ。相対化の中でこそ見えてくるものもあるだろう。
だが、そんなことをするのもできるのも、一部の人間だけでいいと思う。
外に出て、相対化された価値観を持って「地元」に帰ってきた人間が色々な意見を伝えればいいのではないか。
まあ、物理的に人が都市に流れきったらどれだけ恐ろしいことになるか……。
それは推して知るべしといったところだ。
一見、つまらないような生活に見えても、その中でなにかを感じることはあると思う。
無意味な命は一個もないと考えている。
どんなにくだらないような人生を歩んでいようが、地味な人生を歩んでいようが、その人生の中には独特の幸福や気づきがあるはずである。
なにか煌びやかな人生や、大多数の人間から見て認められるような人生だけが意味のあるものだとは思えない。
人はその場所で生きていればいい。
不器用でいい。へたくそでいい。
それでも、生きていればなにかを感じ、感じたら伝えるのが人間だ。
それでいいのではないか、と思う。
人生に意味づけをするのに貪欲になるのもいいが、そうでない人生があることだって認めていいのではないか。
「地元」の魅力
「キッチンが走る」という番組がある。
その土地の食材を集めて、料理を作るという番組だ。
僕はこの番組が結構好きである。
土地ごとの名産品や力を入れている農作物などを紹介する側面もある。
農家の方や地元で働いている方がどうやって自分たちの土地のものを広めていこうとしているのかを垣間見る機会でもある。
彼らが料理人と杉浦太陽によって作られた料理を食べるシーンは楽しい。
そして、ときに泣ける。
なんだか知らないが涙が出てくることがある。
それは、土地に根付いた生き方をしてきた人間が魅力的なのだからではないだろうか。
そして、その人生がなんだか愛おしく感じてしまう。
「地元」に残って生きる人たちの人生がつまらないものであるはずがない。
人生の選択はそれぞれである。
「地元」に残るのもよし。都市に行ってみるのもよし。
それぞれの人生にそれなりの意味が宿る。
それでいいのだと思う。