時間を経て変わること【雑文】
昔ほど、テレビゲームをしたいと思わなくなった。
しかし、一方で将棋をはじめたいと思い始めた。
高校生の頃は理系だった僕。あの頃は数学とか物理学に興味があったが、最近妙に生物学や生態学――つまり自然環境について知りたくなってきた。
ある熱が冷めて、新しい熱がやってくる。
新陳代謝というべきか。
変わっていくことは悲しいとか怖いとか思っていた時期もあった。
しかし、所詮は諸行無常。変わらぬものなどない、と納得したつもりでいた。
だが、最近変わっていくことが楽しいと思えるようになってきた。
というか、もっと自然に受け入れられるようになってきた。
おじさんになってきた。
でも、おじさんもいいものだ。
今、生足で街中を闊歩しているきゃぴきゃぴのギャルも、いつかおばさんになるのか。
不思議なのだが、いつから、あの「おばさんっぽい感じ」は出来るのだろう。
正直な話、若い女性の「女っぽさ」が苦手である。
危ういから、とかそういうことじゃない。なんか、強い。心に尾崎豊より切れ味のいいナイフ。ぎらぎらしていやがるぜ。
時を経て、それが抜けていくのか。
いい感じだ。
とにもかくにも、変わることはそこまで悲しいことではない。
景色の見方が変わるのはいいことだ。
新しい場所に歩きに行こうと、そういう心を持てるのはいいことだ。
最近、デジカメを買った。
写真をとるために被写体を探すようになった。
「やっぱり鎌倉とか行かないと駄目かなあ」
などと考えるようになった。
きっと近いうちに鎌倉に行くことになるだろう。
何かを手に入れることによって起こる変化。
しかし写真の中におさめたいのは、普遍的なものだったりする。
不思議なものだ。
変化もいいが、変化しないものもまた求めているのだ。