野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

【随筆】人間が生み出したシステム

 昨日、池袋の書店に向かうために地元の駅までバスで行った。バスを降りたら、ある政党(と、言っても政党要件を満たしていない)の代表が演説を行っていた。党の名前が党の名前なので、うさんくさいなあ、とこれまでは思っていたのだが、今日はなんだか興味深い話をしていたので、ちょっと耳をそばだてた。

 曰く、「現在の経済システムが永遠に膨大する過度な消費を誘因している」と。

 気になったので、電車に乗っている間、その党のサイトを覗いていた。なるほど、と思わせることが結構あり、頷いていたりした。

 

いきすぎた資本主義

 

 「世界一位の対外純資産を生み出した仕組み」「政府紙幣の発行」などなど、色々と理念や政策、今の経済の仕組みが語られていた。実行するのは簡単ではないだろうが、一定の効果があるように思えた。説得力があった。

 

 現在のお金の発行の仕方に問題があるという指摘はなかなか面白い。

 詳しいことは割愛するが、現在の経済システム上、お金は誰かが借金することで発行されているそうだ。日本銀行が刷ってそれを発行しているというのが一般的な認識だが、実際に日本銀行券という紙幣は実はあまり出回っていない。実際には大きな金はデータ上でやりとりされている。

 日本の銀行は、預金者が金を預けると、ある割合に基づいて貸し付けをおこなうことができる。で、ぐるぐるとお金が回ると、百万円が一億になったりする。でも、これは誰かの借金である。ということらしい。

 結局利子返済のために奔走する必要が出てくる。

 

「稼げる」価値しか見えなくなる恐怖

 

 こうして、いわば金という存在が世の中を牛耳るようになり、人々は金に翻弄される形で仕事に追われる。そして、より楽に生活するために、あるいは安定するために、より稼ぐ必要が出てくる。実際、稼げるかどうか? は、何かをするときの重要な問いであるように思えてくる。しかし、それは世の中のシステムがそうさせているのであって、決して本質的なものではない。

 世の中には金銭に換算できない価値もある。儲からないが、人の心を潤す事業というのはたくさんある。昨日のあるテレビ番組では、全国の中学校や小学校を廻って、授業とライブ活動を行う青年たちの生活に焦点を当てていた。彼らはミュージシャンだが、おそらく儲かっていないだろう。全国を巡っているので車中泊が基本らしい。ああいった活動にはなかなか金は集まらない。というのも、ビジネスにしづらいからである。しかし、価値が無いとは言えない。言えないが、ビジネスにならないものはそれ単体ではなかなか長続きしない。まあ、「今の世の中では」ビジネスにならない、ということだろうが。

 たとえば人にとって重要な「景観」も「情」も、金銭にはなかなか換算できない。しかし、絶対に人にとって必要なものである。悲しいことに、経済効率の重視によって、あるいはビジネス優先の考え方によって、そういったものが消えていってしまう事例はおそらくたくさんあった。

 「稼ぐ」ことは大事だが、それだけになることの恐怖というのは大きい。

wired.jp

 これからロボットやAIが人間の仕事の代わりをすると言われている。

 しかし、そうなったら、いったい人間はどこで働き、給与を得るのだろう。人間が稼げる場所がなくなったら、どうなるのか。もしかして、仕事の奪い合いになったりするのだろうか。そして経済格差はどんどん大きくなっていき、持つものと持たざるものの生き方が対照的になってしまう。皆、バラバラの方向を向き、自分のことだけを必死に考えるようになり……ああ、こわい。杞憂であって欲しい。

 そもそも、ロボットで人間が生み出すすべての価値をまかなうことができるのだろうか。情や笑顔や、触れあいがロボットでまかなえるだろうか。

 

システムに絡みとられることは是か?

 

 産業革命以降、発展し続けてきた資本主義というシステム。今やほとんどの国がそのシステムを採用している。しかし、その弊害も叫ばれている。

 

21世紀の資本

21世紀の資本

 

 

 もし、現行の資本主義に何かしらの問題があるのであれば、それを修正する必要はあると思う。なぜ、人の生活を豊かにするべき経済・社会システムが人の生活を不幸にしているのか。

 私たちはずっと未熟だった。ずっと間違えてきた。だからこれからも間違えるだろう。そのたびに反省し、修正を繰り返すことでしか、明るい未来はないように思える。だが実際にこのシステムの恩恵を受けている人間も少なからずいて、そういう人間は力を持っているので、なかなか修正していくのは難しいかもしれない。だが、人の笑顔が消失するような世界は見たくない。見たくないんだよなあ。

 

 人間が生み出したシステムに人間が翻弄されないように。ぜひ、注意して世の中を見つめていきたい。ひしひしとそう感じるのである。