読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

物語の効用

あれこれ

 私は、物語が好きである。小説も、漫画も、アニメも、ドラマも、好きなのである。

 

 人生は、一つの物語だと言えるのかもしれない。もちろん、物語の要素にはなり得ない様々な煩雑な事情で満たされていたりもする。しかし、「幸せ」というものを考えたとき、私は一つの考えを抱いた。「自分の物語を肯定的に捉えることができることこそが、幸せの条件の一つなのではないか」。

 

 この世の中には、様々な人生がある。陽性が際だった人生を送るものもいるであろう。現在の世の中の基準からすれば、陰の部分が多い人生を送る者もいるであろう。しかし、その人生がどんなものであれ、本人が肯定的に受け入れているのであれば、それは幸せなことなのではないか。

 失敗もする。間違いも犯す。しかし、それが、ゆくゆくの世の中にとって、肯定的な意味を持つことはあり得る。誰も、間違いを犯したくて生きているわけではない。しかし、足らない部分というものは否応なしに発露されるものだ。もちろん、満ちた部分も。

 

 本人が、そのままで生きていることこそが、大事なのである。弱さも、強さも表現しながら、生きていき、最後のとき、「ああ、いい人生だった」と思うことができるのであれば、それで十分なのではないか。

 

 相対化すれば、持っているものや失っているものに差異は出る。しかし、それはそれだ。ある物語の装飾にすぎない、と言ってもいいかもしれない。

 

 どんな人生にも意味が与えるものが「物語」だったりするのではないか。悲しい物語でも、楽しい物語でもいい。物語を読むことによって、自分の人生にも物語性というものが生まれたりする。「この悲しみにはどんな意味があるのか」、「この失意にはどんな意味があるのか」。色々と考え、思考が回転する。人生が深まっていく。

 老いても、様々な事象を味わえる感覚が養えれば、問題はない。共感、憐憫、推察。年を取ることと言うものも、著しく悲しいものではないだろう。その立場から見えるものを、表現すればいい。

 

 この世の中には、幾通りもの物語が生まれ、消えていく。それは、人生の軌跡。そのうちのいくつかを捉えることができたら、上出来だろう。一人では、あまりにも寂しいので、私は物語を共有したい。

 

 遠くで虫の鳴き声がする。私は、その正体を知らないが、きっとそのあらましを知っている人間は多くいることだろう。その人は別の世界を生きているのかもしれない。そんな人と同じ空気を吸い、相まみえるのだとしたら、それはまさに僥倖だ。

 

 星がまたたいた。私も歩くとしよう。

広告を非表示にする