野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

レンズがたくさん、超たのしい

 

この世の中には、幾多の小説家がいる。エッセイストがいる。いまやネットの時代だから、ほとんどすべての人間が表現者になることができる。

それは、「世界を切り取るレンズ」がたくさんあるということだ。

それってすごいことだ。たのしい。

 

世界は一つなのに、経験や性格、そのときどきの気分などで、まるっきり見つめるものが変わってしまう。それが人間というものだ。

それを、素直に表現してほしいんだな。

 

子供には子供にしか見えないものがあるし、大人には大人にしか見えないものがある。

男と女、親と子供、社会人と学生。それぞれで見えるものが違う。大まかに分けても、だ。

さらに個々人の人生観や経験がレンズの屈折を少しずつ変えるので、もう、ものすごいバリエーションの「世界の見え方」が存在することになる。

これが、もう素晴らしい。

 

どれだけ楽しめるんだ!?

どれだけ楽しませてくれるんだ!?

 

一昔前までは、特別な才能を持った職業小説家とかエッセイストの領域だったかもしれないけど、いまや時代は変わった。

ただ単純に生きて、何かを見つめて、素直に表現するだけで、その人の見ている景色を知ることができる。

そこに共感したり、反発したり。

そういう情動が楽しい。

楽しいだけじゃなくて、勉強にもなる。

 

よく承認欲求が悪い、みたいな話を聞くのだが、それってどうなんだろうなあ。

僕はいろんな人が表現したいという欲求を持つことは喜ばしいことだと思うのです。

それは、個人的にいろんな人の価値観や意見、ものの見方や生活の一部を垣間見るのが好きだと言うこともあるけど、表現することを通して自分の人生とか生活に意味合いが生まれることってあると思う。

それは幻想に近いものかもしれない。事実の集合ではないかもしれないから、確実なものではないかもしれないけど、なにがいけないのでしょう。

僕は勘違いでも、楽しければ良いと思うんだよなあ。

神様でも仏でもないのだし、徹底的に客観視する必要ってあるんでしょうか。

 

とにかく、世界には生きている人間、いやもうすでにこの世界にいない人間の視点がある。すっごい数ですよね。もう、興奮しちゃいます。

 

広い視野でも、狭い視野でもどんとこい、です。

それぞれが面白ければ、それでいい。

 

生きている人間が、さまざまな表現をするであろうこの世界は、暮らしていて飽きないなあ。

そう思う今日この頃なのでした。