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野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

仕事

 

近所を歩いていると、たまに腰の曲がったご老人が、掃き掃除をしているのを見かけることがあった。彼女は丁寧に丁寧に、道を掃く。葉を集める。かたわらに箒とバケツ。

その行為が、なんだかいつも気になっていた。

 

この間も、買い物を済ませ家に帰っていると、途中で彼女が道を掃いているのを見かけた。

そこで、そのときたまたま考えていたことと、彼女の行為がリンクした。

「これこそ、仕事の本質かもしれない」

 

仕事の“仕”は、奉仕の“仕”だ。

本来の仕事は、奉仕。だけど、世の中には経済もある。

だから、仕事といえば、「金を稼ぐこと」と考えられやすい。

それは、間違いではないが、全部を説明してはいないのではないか。

 

よく、「金を払ったんだから、店員に対して礼儀もなにもいらない」というような横柄な態度をとる人間がいるが、彼らは仕事の本当のところを捉えられていないのだろう。代金を払ったら、礼儀はいらない。それは乱暴だ。

まず、サービスを与えてもらう。そこで感謝をする。と同時に代金を支払う。これが、本当ではないか。自然な流れではないか。

 

他者に対して、自分のできることで、何かを与える。それが仕事の本質。それに加えて、代金が発生する。つまり、先に金ありき、ではないのではないか。どう考えても、先にサービスありきな気がする。

 

ゆえに、先に金ありき、というような考え方の体制は、なんだか本質からずれている気がする。「金儲け」は、人間の本質ではない。まあ、一部の人間は大好きかも知れないが、ほとんどの人間にはそれより大事なことがある。

しかし、最近の社会は、「金儲け」が主眼になっているように思えてならない。デフレが長く続いているのもあると思うけど、不自然なので、たぶん長続きしないと思う。不自然なことが続けば、普通病気になる。今、そんな感じかもしれない。

 

どうも、今の世の中には本来のあり方からズレているものが多いような気がする。

もっと、「身に合った」「自然な」あり方があるように思えてならない。

しかも、それは実現不可能ではない気がする。こつこつ考えて、構築すれば大丈夫な気がする。

ヒントはそこかしこにあるような気がする。過去の生き方に学ぶのもいいし、今を生きる人が人知れず体現している場合もあろだろう。観察を怠らなければ、見つかるやもしれん。あとは、ひたすら時間をかけて構築だ。

 

腰を曲げて、穏やかな表情で道を掃く老人に、ヒントを与えてもらった。

やはり人は、素直に生きているだけで、導き手になる可能性を有している。

 

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