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野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

逃げは辛いが、役に立つ

電通の女性社員が過労によって自死を選んだというニュースが連日報道されています。

 

bylines.news.yahoo.co.jp

このニュースに関して、考えたことを記したいと思います。

 

逃げちゃだめだ?

 

会社側の責任を追及する声も多いようですが、僕はこういったニュースを見るたびに、当事者がどうして自死という選択をとらざるを得なかったのか、ということについて考えてしまいます。自死を選んだ方を非難したいわけではなく、彼が彼女が自死を選ばざるを得ない状況まで追い込んでしまったのは誰なのか、何なのかということを考えるということです。

もしかして、彼女を死に追い込んだのは、現在の世の中の「空気」のようなものにもあるのではないか、と。

 

有名なアニメの台詞に「逃げちゃ駄目だ」というものがあります。

一般的に、逃げは格好が悪いものとされ、非難される傾向にあります。しかし、どう考えても、逃げの行動をとることが善策である場合も往々にしてありそうです。たとえば、ストーカーからは逃げますよね。火事からも逃げますよね。災害からは逃げますよね。

しかし、なぜ過労からは逃げてはならないのか?

 

日本人は労働意欲が高いと言われます。ですが、それと同時に、「働いてなんぼだ」みたいなところもあって、「とにかく頑張って、無理してでも働くのが是なのだ」というような一種強引な、労働に対する信仰のようなものがあるような気がするのです。そして、それは誰かの内心にとどまるのではなく、「空気」のように蔓延し、強制力さえ抱いている気がする。

もちろん、肯定的な部分があるのは確かなのです。労働の意欲が高ければ、それだけ安定的に経済が回るし、いざというときに一致団結して働くという傾向も高まる。

だが、それが行き過ぎると、病的な拘束力になるような気もするのです。

 

それは法的な拘束力ではない。ですが、人間……とくに日本人は、そういった何となくだけれど、大多数の人間が抱いているような「空気のようなもの」、あるいは「暗黙の了解」と呼ばれるものに追従する傾向があるようです。

 

 

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

 

 (こちらは積ん読状態になっている本。読まないと……)

 

 

その結果、逃げという選択が、「絶対に選んではいけない選択肢」のように見える。

そういったこともあるのかな、と。

 

先取りで用意された「解決策」、レールの上を辿ることを肯定する大人

 

もうひとつ考えたのは、現代の教育の傾向について。

 

僕も現代の教育を数年前には受けていた身ので実感があるのですが、現在実施されている教育には「手取り足取り」感がすごくある。というのは、小学校から高校まで、なんとかドロップアウトしないようにセーフティネットのようなものが設置されているし、受験となれば塾や予備校などがあります。意識が高い親御さんのもとでは、学校の授業に遅れないため、あるいは高い成績をおさめるために、生徒に「先取り」で学習させることがある。

大学にもそういう部分はあって、一般の講義でも先輩から「過去問」のようなものが伝授される場合もあるようですし(僕はサークルに所属したことがないので分かりませんが…)、就職活動に関しても、かなりサポート体制が整っていますよね。

とにかく安定的に、安全に過ごせるようにと、制度が整えられている印象があります。

 

それはそれでもちろんありがたいことなのですが、一方で、“失敗すること”や“ドロップアウト”することが「暗黙のうちに」否定されているような気がしてきます。つまり、ある程度成功することが当たり前、及第点とって当たり前であり、それ以下の点数や状況になることは「即失格だ」と不名誉な烙印が押されてしまう感じがする。

 

僕などは、学生時代からかなりドロップアウト人間だったので、もう開き直ってしまっていますが、一度も「落ちた」ことがない人間にとっては、ものすごく恐怖が大きいような気がするんですよね。

 

親御さんも、大多数の大人も、子供や若者には安定的で安全な道を歩んで欲しいと思っている。だからこそ、結果としてレールのようなものを用意してやり、その上を進めるようにと、手配することもあるのでしょう。それは愛情でもあるのでしょうが、子供からすると、「正解を選び続けないと」という強迫観念のようにも見えてしまうのではないか。それは「大人が決めた正解」ですが、なにしろ子供は社会にでたことがありませんから、正解はとりあえず大人が用意してくれるものだと思っている。だが、「大人が決めた正解」が必ずしも本人にとって、社会にとって正解ではないかもしれない。その点はまあ置いとくとしても、とにかく「正解を選び続けないと終わりだ」というような苦しさのようなものが、現代の日本にはある気がします。とくに若者には。

 

こういった点と、さきほどの「逃げちゃ駄目だ」という意識が相まって、盲目的に「逃げの選択は終わりだ」という意識になってしまうのではないか。さらに、長らく不況がそれに追い打ちをかける。休職や離職ののち、果たして確実に職場復帰、あるいは社会復帰が可能なのか?と問うたところで、明確に「大丈夫だ」と言えるほど、現在の日本の状況は明るくない。

となれば、なるべく「落第しないように」しないと……と考えても仕方のないことです。

 

つまり、一度落ちてからリカバリーした経験がないし、どうやら世の中もそういったことを認めそうにない。だから、「一度でも落ちてはいけない」……そんな意識が、若者や、今まで成功し続けてきてしまった大人たちにはあるように思えるのです。

 

結果として選ばれる「死」

 

そういった事情が重なり、なんとか現実の中で生きていこうともがきはするが、どう考えても許容範囲を超えている。「逃げては駄目だ。逃げたら終わりだ。一度でも落ちたら、リカバリーできない」……一寸先は闇で、闇の中で生き抜ける自信もない。ゆえに、なんとか光の中で生きようともがきはするが、果たしてそこは光でしょうか?

 

今回のニュースで言えば、労災が下りるくらいですから、つまりそれは「実行不可能な労働量を強いられていた」と言っても過言ではないでしょう。実際、かなり超過労働していたようですから。

 そう考えると、むしろ「逃げるべきだった」とさえ言える状況だったのではないでしょうか?しかるべきところに訴えれば、対処も可能だったのかもしれません。

しかし誰も彼女に逃げ道を用意してあげることができなかった。

 

むしろ社会の「空気」は、“逃げないこと”を強要していたのでは?

 

僕のようなちゃらんぽらんな人間が言っても、現実味はないでしょうが……逃げて、生きて欲しかった。

でも彼女にとっては、生きることこそが地獄だったのではないでしょうか。

「生きる」という現実に追い込まれていた彼女にとって、「死」はものすごく現実的な手段だったのかもしれないと思うのです。

 

結局、一足飛びに「死」という選択を選んでしまったのではないか。

そういった印象を抱き、複雑な気分になりました。

 

勇気を持って、逃げて欲しい

 

僕のようにだらしのない人間が、逃げを選び続けるのはいけないのですが、頑張り屋さんや努力家さんは、自分自身を追い込む傾向があるという自覚をもって、しかるべきときには勇気を持って「逃げ」の選択肢をとっていただきたい。

 

人間は不完全、となると当然人間集団たる社会も不完全です。なんとか世の中回っているように見えても、必ずひずみがあると思います。運悪く、そのひずみに嵌まってしまい、ぎりぎりと苦しめられてしまう場合があるかもしれない。悲しいかな、そういった事態に陥るのは、往々にして「頑張っている人」であるような気がします。

 

かつて学生時代、飲食店で働いていた時期がありました。いわゆるブラックな職場だったんだと思います。人員を極限まで減らし、店をなんとか回しながら、しかし経営者は系列店をどんどん進出させようとしていました。その結果、社員さんはあっちへいったりこっちへいったり。アルバイトである僕も、その頃も真面目でしたから、休日は毎日働いて、社員の不足した分の労働力を補おうとしていました。

ああ、こうやって職場はブラックになるのか、と肌身で実感しました。

 

どんどん人員を削減してコストを減らそうとすると、当然一人あたりの仕事量は増えます。さらに、その仕事を回せるのは、結局のところある程度スキルがある人間になってくる。となると、どんどん「仕事ができる」一部の人間に仕事が集中します。そうなると、他の人間が育ちません。そうなると、さらに「仕事ができる」人間ばかりが職場に連日顔を出すようになります。そうしないと、回らないのですから。

 結果として、僕も社員さんも死んだように生きていました。

あの頃は異常だった。身長178センチで、52キロまで体重が落ちましたからね。それでもへらへらしていたのは、若かったからと、社員さんがあまりにもしんどそうだったから。でも、実際にはもう逃げたかった。逃げるべきだった。

 

電通の社員さんも、もしかしたら表面では笑顔を取り繕っていたかもしれません。

でも、心の中ではずっと泣いていたのだろうな。

 

逃げ道を作ってあげられる世の中でもいいんじゃないか?

 

「逃げ道を用意する」という現実的な解決策を選択できない世の中。

結果として「死」という方法でしか楽になれない社会。

 

これははっきり言えば、病だと思います。もう、いくところまでいってしまっている。なので、どうにかするしかない状況なのですが、どうにもできない状況でもある。だからこそ、「逃げ」が現実的であり、長い目で見れば健康的でもある場合だってあると思うので、死を意識するほど追い詰められてしまったら、いったん逃げていただきたい。

 

これは完全に理想論になってしまうけど、人間は笑顔で生きているのが一番だと思いますから。笑顔を取り戻せるまで、休んだり、別の道を選んでみたりするのは、大いにありだと思うので。なので、どうか逃げて、生きてみてください。

そう言えないだろうか。

 

ときには積極的に逃げ道を作ってみることだって、ありだと思うのです。誰かが誰かに作ってあげることも必要かもしれない。そういった「ゆとり」はものすごく批判されがちだけど、ぎちぎちに張り詰めた弦がいい音を出さないように、適度なゆとりさえない世の中は、やはり不協和音そのものだと思います。

 

実際、反吐が出るくらいうるさいですよ。そこいらから、悲鳴が聞こえてきます。声にならない悲鳴が。それになれてしまっている自分も怖い。

 

人間は慣れるものですが、こんな状況になれてしまってはまずい。

どうにかならんかな、と思うばかりです。

 

 

どこで咲いてもいいから、ひたむきに笑っていておくれよ。