野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

自然と接する作用――キャサリン・サンソム著『東京に暮す』を読んで

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ときどき、自分が考えているテーマについて連鎖的に新しい情報が外から入ってくることがある。先日、「自然と美の関連」についてこのブログで書いた。今日、古本屋でキャサリン・サンソムの『東京に暮す』を何気なく手に取り、パラパラと読んでいたら、まさしくそれに関連することが書かれていて、ちょっと驚いた。

 

 

東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)

東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)

 

 

彼女は、外交官の妻として日本を訪れ、自身が観察した日本人の姿を好意的に記述している。もちろん、本来の日本の姿を正確な客観性を持って記述されたものかどうかは分からないが、一人のイギリス人女性として彼女が見聞きした戦前昭和初期の日本の姿は、現代の日本と比較しても、どうも様相を異にしているようだ。

 

ここからいくつかの文を引用しながら、いろいろと考えてみたい。

 

おおらかに日々を暮らしていた人々

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西洋文明の影響でますます多くの人が時間に追われる生活をするようになったというのに、人々がとても大らかでゆったりしているように見えるのは実に不思議です。

――第三章 「日本人と労働」より

 

現代の日本ではどうだろう。忙しさに囚われ、多くの日本人はストレスを過度にため込み、ともすれば誰かに当たったりどなったりしながら、発散しているのではないか。誰も彼も、余裕がないといった印象を抱く。どうしてこうなってしまったのか、そのヒントになりそうな箇所を次に引いてみよう。

 

自然が近くにあったことで、心の落ち着きを持っていられたのか?

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日本人はじっと坐って何時間も同じ景色を眺めていることがありますが、自然を見つめることで精神の大事な糧を得ているのです。自然に対するこのような姿勢が、心の落ち着きという日本人のおそらく最も素晴らしい性格の基礎にあるに違いありません。

――第四章 「日本の伝統」より

 

とくに忙しいサラリーマンが多い都市部には、豊かな自然をゆっくりと眺めるスペースがなかなか見当たらない。オフィス街に林立するのは木ではなく、人工物であるビル群である。また、繁華街にもビルは多く、それらはひたすら人々の消費意欲を喚起させる広告やビジョンを見せている。

もしかすると、こういった環境が知らず知らずのあいだに、日本人の――とくに都市部で暮らすひとびとの精神を疲弊させているのではないだろうか。「癒やし」などという軽い表現ではなく、本来の日本人の性格というか“あり方”そのものに必要なものが、長い経緯のなかで削ぎ落とされてしまった可能性がある、と考えた。

 

さらに、昔の日本人は仕事に対する姿勢にも幾分余裕が見られたようである。

 

仕事と遊びを両立してしまっていたのかもしれない日本人

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お店は仕事と遊びとを一緒にしてしまうという日本人の才能を示すよい霊です。お店というのは商品を売るためにあるはずなのですが、日本ほど売る努力をしない国はありません。

――第三章 「日本人と労働」より

 

 現代の日本においてこの姿勢で商売をする商売人がどれくらいいようか。おそらく、神保町の古書店街における雰囲気が、過去の日本にはあったのではないかと予想しているのだが、ああいった光景は現在の日本では本当に希だ。積極的に売ろうとしない、ただ静かに客が訪れるのを待っている――そんな姿勢を貫けるのは、古書店主くらいなのではなかろうか。あとは老舗の喫茶店くらいなのだろうか。

 

高度経済成長期以降、消費が加熱したようである。それを維持しなければ、世の中が回っていかないとばかりに、広告が闊歩し、どんなアスリートも広告塔としてテレビCMに映ることが宿命づけられてると言っても過言ではない。それが現在の日本の当たり前の光景である。しかし、それは案外最近のことであるのかもしれないのだ。もしそれが、本来のあり方からずれ、何かしらの歪みを生み出しているのだとしたら、一度見直すのもありなのではないだろうか、と考えた。

 

より身に合った“あり方”を身につけられるか?

 

少し読んだだけでも、昭和初期の日本人の生き方と、現在の我々の生き方がずいぶんと様変わりしているのではないか、という示唆を得た。働き者ではあっても、ゆっくりすることは忘れなかった。働くことは好きであったが、働き方には独自のものがあり、それが本来の日本人のあり方と深く関わっていた。そんな気もするのだ。明確なことは分からないので、これから関連書籍などを漁ってみようと思っているが、もしももっと良いあり方があるのなら、そちらに寄せていくのもありなのではないかな。

 

電通の女子社員の一件以降、どうもこのようなことが気になってしまう。だが、素直に考えを巡らすことは悪いことではないと判断し、続けていこうと思っている。

 

(画像は「ぱくたそ」からお借りしました)