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野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

「好き」はどこに転がっているかわからない

昨日、常々やりたいと思っていた木彫をはじめた。

木彫とは、木彫りのことである。仏像やレリーフを彫ったりするあれだ。

なぜ今までやらなかったのかと言うと単純に、

「道具を買って、材料を買ってやってみて、それで面白くなかったらどうしよう?」

とか、考えていたからである。

だが、やってみると感覚的に「これは自分に向いているな」と分かるのだ。

 

木を彫るときの感覚。あの研ぎ澄まされる感覚。

もともと職人的なものに対する憧れはあると自覚していたが、日々の猥雑な感情に流されて自身の感覚に注意していなかった。

いま、やっと気づけてよかった、と思う一方で、

「遅いわ!」

と、自分につっこみたくもある。

まあ、なにはともあれ楽しいからいいのだけれど。

 

このように、頭でっかちな人間は案外、自分の好きなことから遠ざかっている場合がありそうだ、と考えた。

それだけじゃなく、人間は大人になると世間体だとか社会性だとかに気を取られて、自らの素直な欲求や素質に気づくのが難しくなる場合もあるかも、と思った。

 

僕は、誰もが才能を持っていると思うし、自らの心を豊かにできる趣味や文化に出会えるはずだと思っている。そして、それは経済的だ。建設的だ。なぜなら、より豊かな心で暮らす人が増えれば、それだけ比例的にストレスは軽減されそうだし、余裕が生まれそうだからだ。

 

しかし、「周囲に合わせないと」という意識は、特に学生の皆さんには大きいかと思う。特に文系の皆さん。そうなると、その意識が靄を生み出してしまうこともありそうだな、と思うのだ。

自分の「好き」に、自分で気づくことができない。

自分の才能に、自分で気づくことができない。

そんな勿体ないことが起こりえそうだ。

 

学生の皆さんもそうだが、ぜひ社会人や大人の皆さんにも、もっともっといろんなことに挑戦してみてほしいものだ。なぜなら、どこに自分に合ったものが転がっているかわからないからだ。直感的に「これは自分に合っている」と分かるときもあるだろうし、それひとつで十分な場合もあるだろうが、楽しいことはいくつもあってもいいと思う。

 

ひとりひとりの心が豊かになることが、調和への第一歩のような気がする。

最近そう思うのだ。

だからこそ、暮らしや文化を大事にしたいし、ひとりひとりの心の状態がよりよい状態であるように、と願う。

 

そのためにも、好きなことを多く見つけてほしい。

余裕を持ち、人に優しくなるためにも。