野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

批判のその先へ

怒りや批判は厄介だけど

 

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世の中を見渡すと、ついつい感情的になって批判的になることも多く、しかし感情がいったいどれほど効果があるものかと考えると、そこには一定の疑念が浮上するものです。実際感情的になっていては、建設的な議論を進めるのは難しいものでしょう。しかし、ある問題に対して立場が異なるという人たちがいるということは当たり前のことです。

 

最近このことについていて考えていて、「批判精神ってのはやはり役に立たないのかな」とも思ったのですが、批判を出発として具体的なことを考えてみるというのはどうだろうか、と思いました。批判は批判として「きっかけ」として活用し、その後に具体的な知識を学ぶなどして、建設的な議論に繋がる流れを作ってみては、と。

 

僕も意見の対立の場面で怒りが沸き起こる場合が多々あります。それは政治的な問題でも、日常の人間関係でもそうです。そんなときに怒りが沸き起こることを恥じていました。しかし本当に恥じるべきなのは、怒ることではなく、その先に具体的な学びや検討を行わない怠惰なのかもしれません。

 

批判や怒りというのは、きっと自分の頭のなかにある欲望や理想から出てくるものだと思います。「もっとこうすべきなのに」という想いが怒りに変わってしまう場合が多いのではないでしょうか。だったら、その理想とする状態が具体的にどうしたら実現可能になるだろうか、と実際に知識を求めてみてはどうでしょう。そして、冷静に手順を考えてみるのはどうでしょう。そうすると、怒りという感情から始めて、最終的には理性に転換されます。

 

たとえば具体的な例として

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たとえば原発の問題などを考えてみます。

原発問題は「脱原発」か「推進」かといった、極端な二元論に繋がる場合があると思います。しかし、もう少し具体的に「脱原発なら具体的にどう廃炉し、代替の発電方法を確立していくか」とか「推進するとしても、どのように安全性を確保し、2度と同じような事故を起こさないようにするのか」など、さまざまなバリエーションの議論がありえるかと思います。その際に必要なのが、実証的なデータやそれぞれの立場を、真摯に学ぶことでしょう。

代替の発電方法というと、水力発電で言えば水位を上げる工事をするなどして電力全体に対するシェアを増やす方法もあるでしょう。バイオマス発電や、これは僕はあまり知らないのですが波力発電などもあります。また、蓄電の技術を開発し、太陽光や風力の天候に依存した不安定な発電による電気を貯めておくことも大事かもしれません。

 

原発推進を訴える人たちは、エネルギー安全保障の問題を説く場合もあります。火力発電の依存度が高ければ、当然燃料代が多くかかります。さらに、その燃料の多くは中東から持ってきているので、中国がシーレーンを抑えてしまうと、供給がストップしてしまうかもしれません。実際にそういうことをしないこともないかもしれませんが、政治的にその状況を利用され、外交でかなり不利な立場にされてしまうこともあるかもしれません。

 

ここまで考えてみると、原発の問題はかなり複雑であることが分かります。それだけに、それぞれの人たちが自分の立場や考え方の正当性を訴え、反対の人たちを押しのけようとするのも分かります。これだけ複雑な問題を、専門家でもない人たちが、情報収集に努め、冷静になり根気よく議論するのは大変なことでしょう。それゆえに感情的になってしまうのです。

 

ですが、感情的になって批判し合っているということは、表層的な議論になっているということの裏返しなのかもしれません。

 

「じゃあ、どうしたらいいのだろう?」と考えてみる

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すべての問題に対して専門家のように、具体的なデータを集め、多角的に検討するのは一般の人たちにはとても難しいでしょう。ですから、それは無理をしない方がいいと思うのです。しかし、感情的になっていると、やはり対立しか生まないので、では感情から理性に移るために具体的に何をしたらいいのか、ということを考えてみます。

 

批判的な怒りの感情が湧いたら、「じゃあ、具体的にどうしたらいいのだろうか」と自分に問いを立ててみたらどうでしょう。そう考えたら次には、「わたしが理想とする状態とはどんなもので、今の状態はどのくらいそれと乖離しているのか」「それを実現するには、どのような方法や技術が必要なのだろうか」と考えてみます。そうすることで、段々と理性的になり、自分のなかに足りない知識や知見なども浮き彫りになってくるのではないでしょうか。

 

そうしたら、今度は具体的にリサーチの段階に入れば良いだろうと思います。そうすることで、具体的なデータや知識が入ってきて、より多角的に深く物事を観察し、考察することが可能になります。

 

感情から始まり、冷静に調べ、そして分析をしてみる。そうすることで、怒りも無駄にはなりませんし、より建設的な議論に移りやすくなります。

 

現在は情報がバンバン入ってくるので、ひとつひとつに対応することは不可能でしょう。自分が一番関心がある問題に絞ってみるのもいいかもしれません。そうして、各々が冷静に議論を積み重ねていくことができる「プチ専門家」になれたら、もしかするともっと建設的に世の中を変えていけるかもしれません。