野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

思い出の漫画の話  『神戸在住』木村紺

神戸在住(4) (アフタヌーンコミックス)

今日は漫画に関する思い出話でもしようかと。

 

大学生のころ、僕は漫画を描こうとしていたことがある。そのために、いろいろな漫画を読んで勉強しようと思っていた。そんななかで、僕がよく選んでいたのは、世間であまり話題になっていない漫画だった。それを、自分の直感で選び取ることに、情熱を持っていた時期がある。

 

神戸在住』は本棚のなかで、ひっそり存在していた

 

大学から帰るときに立ち寄る駅構内の本屋で、いつも気になる漫画があった。各巻の背表紙がカラフルで、それでいて表紙の絵は控えめな印象だった。

その漫画の名前は『神戸在住』。

 

神戸在住(1) (アフタヌーンコミックス)
 

 

購入を逡巡する時期が長く続き、ようやっと手に取って読んでみると、物語は淡々と進んでいく。ひとりの女学生が神戸の街で、学生生活を送っていく物語だった。静かに流れる物語のなかの時間と空気。それを、ゆっくりと追いかけるのが、こそばゆい感覚を僕にもたらした。

 

神戸在住』はめずらしくスクリーントーン*1を使うことなく描かれている。基本的にペンのみで、濃淡をあらわす。そして、漫画の枠外に著者の手書きの文章が並ぶ。そんな描き方なので、ほかの漫画とは少し違った雰囲気を持っている。丁寧に、人物や物語の「流れ」が描かれている気がした。

 

きっと木村紺という人は、人間をよく見ている人なのだろうと思う。

 

マイノリティーが登場する物語

 

神戸在住(7) (アフタヌーンコミックス)

この漫画には、いわゆるマイノリティーが多く登場する。在日朝鮮人、車椅子に乗った目の不自由な男性、吃音を持っている学生やいわゆるゲイと呼ばれる人。そういった人たちが、辰木桂という女学生の生活のなかに、ふっと登場する。

 

物語はエッセイ風なので、彼らは重たすぎるほどの影を落とすことはあまり無い(物語の重要な場面で、ある人が決定的な影を主人公の胸のうちに落とすが)。それがかえって、印象を残す。哀しみや、断絶を、そっと物語のなかで感じさせる。

 

対照的に、桂は普通の女の子だ。きっと、桂までもが重いものを背負っていたら、物語のトーンが重くなってしまっただろう。桂は、普通であることを背負っているのだ。

しかし、時間のなかで、彼らとの関係性も徐々に変化していくのだ。

 

阪神淡路大震災の傷

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 物語のなかでは、阪神淡路大震災の記憶について、キャラクターが共有するシーンが登場する。

 

桂の親友のひとりである金城和歌子と、彼女の恋人である林浩(リン・ハオ)が震災を描いた物語で主役となる。

 

浩は中国系日本人二世で、なかなかのいい男。彼は震災当時、ボランティアとして崩れた街並みのなかを歩き回った。和歌子との出会いは、避難所だったはずだ。

 

印象的だったのは、和歌子がたびたび震災の記憶を思い出し、恐れ、そのたびに彼氏である浩が彼女にやさしく寄り添うシーン。静かに、ただ静かに浩はヘッドホンで音楽を聴きながら、和歌子の隣で横になる。

震災は、深い傷を作る。以前、阪神淡路大震災を経験した人々をたずねる番組を観たことがあり、やはり誰もが何年も経っても、震災の記憶から離れることはできずにいた。記憶は、人々の毎日に深い影を落とすこともある。それと同じくらい、なにかの記憶が誰かを救うこともある。事実だけで、世の中はできていない。

 

また、浩を中心としたシーンもあった。震災ボランティアとして活動する彼には仲間がおり、年上の男性もいた。ある日、ずっと行方不明だった男性の家族が亡くなっていたことがわかる。憔悴しきった表情で、なんとか笑おうとする男性の姿が、すごく苦しそうだった。たしか、彼は震災ボランティアのなかで、リーダーのような存在だったはず。浩をとおして、「失う」ことについて考えさせられた。

のちに、彼にはあたたかな救いがおとずれる。喪失と再生、それが描かれている気がした。

 

鈴木さんとの関係性

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 桂の友達のひとりに、鈴木さんという女の子がいる。若干おとなしめの桂に対し、彼女はいつもハイテンション。まったく性質の異なる二人に見えて、実はある共通点があったのだ。それは、二人とも「人に近づくのが不器用である」ということ。

 

あるとき、とてもナイーブな場面において、いつもハイテンションな鈴木さんが、的外れなコミュニケーションをとってしまう。それにより、桂と鈴木さんとのあいだに、微妙な距離ができあがる。

 

物語終盤付近で、鈴木さんと桂が「お泊まり」をする。そのときに、鈴木さんは桂に罪の意識を持っていたことを告白する。自分の至らない部分を客観的に見つめ、それでも桂に対して良くない対応をしてしまったことを、泣きながらわびる。

 

桂は人と向かい合い、関係性を深めるのに臆病で、鈴木さんも誰かと深い間柄になることを、ハイテンションなコミュニケーションで避けていた。だが、物語終盤において、桂と鈴木さんは、「本当の」友達になることができたのだろう。

 

そんな微妙な人間関係の変化を、描き出すことに成功した物語だ。やはり、木村紺というひとは、生身の関係性の明暗を、微妙な光彩を含めて、見つめている人なのだろう。

 

また「ただいま」と言うために

神戸在住(10) (アフタヌーンコミックス)

 

物語のエピローグで桂は、同じマンションに住む子供たちに、笑顔で手を振る。そのとき桂が発した言葉の対になるのは「ただいま」だ。あの言葉を目にしたとき、どうしてか寂しさとあたたかさを感じたのだ。

 

僕たちは、新たな日常を生きていく存在だ。それは、誰もが一緒だ。同じように見えて、実は毎日毎日、昨日とは違う時間を過ごしている。ときにうれしいことがおこり、ときに傷ついて、ときにそこから再生する。

 

もし、あの言葉に対して「ただいま」と言いたいのなら、帰らなければならない。帰る場所があること。その前提に立つからこそ、あの言葉は存在するのだ。

 

「いってらっしゃい」

 

彼女の笑顔に、見送られる想いを持った人も居るだろう。

過去から未来へ向かって、僕らはまた新しい現在に、進み出す。そしていつか、ちゃんと「ただいま」と言えるように、歩こう。

*1:イラスト漫画などの作成に用いる、柄のついた、または白と黒の点がある一定の比率で様々なパターンが印刷されている特殊なシール状の画材。wikipediaより)