関わり
自分ひとりの脳みそではどうにもならん。自分のことも。
だから他者の存在がありがたい。
他の人の考えが聞けるだけではない。自分のなかにある考えそのものも、別の角度で見ることができる。そして、自分自身の弱点やクセに気づくことができる。
それは、コミュニケーションを交わすことでしか生まれない作用だ。
昨日から商店街に笹の葉が置かれた。
子供たちも大人たちもわいわいと楽しそうだった。とくに子供たちは、笹の葉にカラフルな短冊をかけることを、心底楽しんでいるようだった。
もし、七夕という文化がなくなってしまったらどうなるだろう?
それだけコミュニケーションが少なくなるだろう。七夕というずっと昔から続いてきた文化は、大人と子供をつなげるだけでなく、今はここにいない人たちをもつなげる。
「わたしが小さい頃も、短冊に願い事を書いたのよ」
そうやって、子供と大人が交流する。織り姫と彦星の物語を共有する。そうやって、ずっと昔からこの地には人が生きていた、という事実を実感する。
人ひとりが生きるということは、無数の存在との関わりだ。そして、支えられ、いろいろなものを借りながら、生きるしかない。
関わりをなくせば、生きていくことはできない。それを、弱いとは言えない。強いとも言えない。ただ、そういうものだ、ということだけだ。
関わりは現在進行形のものもあれば、過去からのものもある。文字は過去の人間が生み出し、継承してきたもの。食文化も住文化も、なにもかも、変遷を経ながら受け継がれて、いまここにある。良くないものさえ、ここにある。
関わりをなくせない人間にとって、関わりを生み出す文化というものは、なくしてはいけないものなのだ。