野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

情と理性

不寛容な社会になりつつある、と言われている。それは本当のことだろう。だからこそ、失敗を恐れる。だが、失敗を恐れると、発展がなくなる。どんどん社会の可能性が縮小していってしまう。

 

本来人間というのは失敗をする生き物だ。だからこそ、人間は社会や組織を作り、補い合う。誰かが失敗をしたら、誰かが尻拭いをする。その代わり、その失敗から学べるようにしてやる。そうやって全体として機能するべきなのではないか。

 

理想を言えば、失敗をしてもそれが許されて、さらに学びに繋がるような社会であるといいと思う。だがそのためには、心のあり方が重要だ。

 

インターネットを覗けば、いつも誰かが誰かの失敗を嗤っている。

メディアを見れば、いつも誰かが誰かを責めている。

たしかに反省は大事なのだけど、責めて追い詰めて、挙げ句の果てにその人の成長の可能性すら潰してしまうのは、社会の道理に反するのではないか。

では、その線引きはなにが決めるのか?

きっと、それは情と理性だ。情緒こそ、想像力こそが、「責めすぎていないだろうか」と慮り、理性が「どこまで追求すべきか」を決める。情と理性、このバランスが欠けていると、社会は縮小するのかもしれない。

 

情と理性、これをバランス良く育んでいくことが求められているのかもしれない。