野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

モスチキン・クリスマス

f:id:homurajin55:20171224175501j:plain

 

さて、昨日はクリスマスイブ。意気揚々と、「さあて、イルミネーションでも拝みにいきますかい!」などと息巻くでもなく、ぶらりとひとり街へ出た。あくまで、ぶらりと。

 

そもそもこの年齢になり、独り身であるという状況であると、「本日がクリスマスイブかどうか」などということは気に留まらなくなる。最近は、自分の誕生日さえうっかり過ぎそうになるくらいだ。

 

僕の場合、一昨日妹と喫茶店に入り、「今年のおせち、どうすっかねー」とかだべっているときに、「そういえば明日クリスマスイブやん」と思い出したのだった。

 

しかし街へ繰り出す際、事前に「今日はクリスマスイブだ」と認識しているか否かで、ものの見え方が変わってくる。ついでに自分自身の身の置き方も変わってくる。あたりを見渡すとやたらとカップルが多い気がするし、各々が色めきだっているように見える。カップルにとってこの日は、カップルがカップルたることを祝福され賞賛され価値化される絶好の機会。千載一遇のチャンスとばかりに、首におそろいのマフラーを巻き、腕に腕を絡める男女。「ビバ・クリスマス!おいでませアベックさま」とばかりに店内は赤と緑の装飾と煌めくLEDが、「誰を祝うかなんてどうでもいいさ!もうみんな祝福してやる!」とばかりにちらつく……気がしてくる。

 

それに比して、自分は独り身なのだという事実が厳然として目の前に突きつけられ、自分と同じく独り身であろう人々の姿が目に焼き付く。クリスマスが作り出す光と影。この哀愁がたまらない!

 

思えば、過去にもクリスマスイブと意識して表面的には飄々と、内面は恐々としながら街へ繰り出しては、後悔して帰ってくることがままあった。その心理は、クリスマスという年末商戦のために輸入されたイベントの雰囲気に負けてたまるか!という、身勝手な被害妄想から来るものだったのだ。おそらく。

 

そしてやっぱり今日も、自分の身から出た錆に追い出されるようにして、すたこらさっさと街から退却した。右手にぶら下げた無印良品の袋を見て、心のなかでつぶやく。
「今日はこれを買えてよかった。いやあ、よかったよかった」
長袖Tシャツとトレーナー、買えて良かった。

 

そんなこんなで街をあとにした僕は、最寄り駅に着くと、牛丼で腹を満たすことにした。チェーンの牛丼屋へ向かう道すがら、遠くの方からなにやら女子の大きな声が聞こえてくる。
「モスチキン、いかがですかー!店頭販売やってまあーす!!」
牛丼屋の隣には、モスバーガーが店を構えていたのだ。
そうかー、そういえば今日はそういう日でもあったか、とひとりごちする。

 

「モスチキン、いかがですかー!店頭販売やってまあーす!!」
金切り声と形容してみてもいいような大声で、サンタの衣装に身を包んだ女性二人がシンクロして叫ぶ。おそらくは学生であろう。道を行く人々は、彼女たちを横目に通り過ぎる。そんな状況だから、元気いっぱいの呼び声は、一層切実な色を帯びて寒空の下で響いている気がした。

 

僕が苦手なものに「募金の呼びかけ」、「献血の呼びかけ」、そして「クリスマスイブのチキン購入の呼びかけ」がある。若い人たちが募金や献血を呼びかける声に良心の呵責を覚え、されど自ら進んでお金や血を渡す勇気はなく……いつも釈然としない思いを抱くのだ。そしてそれと同じくらい「クリスマスの寒空の下、必死に呼びかけるチキン販売員」が苦手なのである。「良心の呵責!しかし金が」……そんなジレンマのなかに勝手にはまってしまう。

 

結局、彼女たちが健気に頑張れば頑張るほど、僕は良心の呵責に苛まれる。彼女たちが店頭販売になれていない風でなかったら、もっとこなれた販売員風の男がバンバカ客を集めていたら……きっと僕は「ふん」といって潔く通り過ぎることができるのに。

 

まあ、でも結局通り過ぎるわけなんだが。

 

そして、牛丼屋に入る。並盛り注文。着席すると目の前で、若く見えるけどきっと三十代後半なんだろうなという印象の男性と、腰が曲がった女性が話をしながら食事をしていた。女性は男性の母親だと思う。通帳がどうのこうの言っていた。男性が「え? それおかしいだろ。どう考えても」とか言っていたので、もしや何事か起こったのかもしれない。世間ではクリスマスイブで盛り上がっている。そんな状況でこんな会話を牛丼屋で聞く。これこそが味わい深い年末の過ごし方というものだ。そして店内にもかすかに聞こえてくるモスチキンの呼び声。
「うーん、買っていこうかなあ」
などと、なぜか買う気が起こってくるから不思議だ。

 

そそくさと牛丼を平らげた僕は、八割方モスチキンを買う気で店を出た。しかし、彼女たちの声は聞こえない。見てみると、男性がひとり、モスチキンを購入しようとしていた。小心者の僕は、「あ、客ついたか。あ、じゃあいっかなあ」とか考えて、ふわふわと店頭販売の前に足を向ける。男性は同じ形の商品が入っているのか否かを質問しているようだった。女性のひとりが「大丈夫です。同じです」と毅然とした態度で応えている。ポスターを見ると6ピースで1,350円だった。ふむ、このくらいかのう。でもなあ。なんて逡巡しだした。

 

とりあえずスーパーで買い物を済ませてからにしよう。決断を先延ばしにして、スーパーへ。買い物を済ませてから戻ってくると、声が聞こえてこない。つまり、なんだかんだいって客が途切れていない。バスはあと五分で来る。
「あー、ああ……今日はいっか」
お馴染みの消極的判断であった。

 

バスが来て、最前席に座る。走るバスの車窓から、彼女たちを見た。彼女たちをかわいそうだと思ったのではないか、おばちゃんがふらふらと寄ってきていた。ああ、そうか。そうだよなあ。これこそが商売なのだなあ。結局モスバーガー側の作戦勝ちなのだ。

 

「健気さ」こそがチキンの店頭販売の武器なのだ。彼女たちは店長から言われたかもしれない。「とにかく初々しく、頑張って声を出せ」と。そう、それ効果てきめん。同情不可避。ゆえに売り上げ好調。なんだかんだきっと黒字。

 

ここまで考えて、「待てよ」と思う。数年前までは、サンタ姿の女子二人がいたら、もっとエロい目線で見ていなかったか?「フィーメールサンタっておい、いいね! 生足最高!」……そんな本能的情動が頭の片隅に鎮座していなかったか?

 

今はどうだ。そんなことよりなにより、彼女たちの健気さが目に焼き付いてしまっていたではないか。「健気さにつられてモスチキン買っちゃうおじさんの気持ち、わかるー」ではないのか。

 

つまり、総合的に考えると……僕はおっさんになったということか。

 

「ふ、モスチキン。やっぱり買えば良かったな……」
時刻はちょうど黄昏時。名実ともに自分がおっさんになったことを自覚してしまった僕は、それを受け入れつつも、まだなにかにあらがいたい気分で、流れる風景を眺めた。時折ちらつく西日は、やけにまぶしかった。