野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

「最近の若者は」

「最近の若者は」という言葉がある。いわゆる年配者が頼りない若者を見て放つ言葉である。この言葉はなんでも相当古い時代からあったらしく、いまに始まったことではない。

 

「最近の若者は」。この言葉が放たれる背後の気持ちは分かる。たしかにあまりにもものを知らない、ものの道理を知らない、ふがいない……そんな印象を抱けば不安にもなり、なにか言ってやりたいという気持ちになるだろう。だが、年配者の側も失念していることがある。彼ら若者は、年配者が作った社会や文化のなかで生きて、育ってきたということだ。

 

人の気持ちがわからない、礼儀を知らない……たしかにそういう部分はあるかもしれない。だが、彼らには学ぶ力がある。ただ、彼らが学ぶ対象として向き合っているのはいつだって大人が作り出している社会だ。そのなかで彼らなりにものを見て、考えて、生きている。彼らがもし冷酷で、打算的で、非積極的で、個人主義的なのだとしたら……大人が作り出した社会もまた、そういったものだということだ。いかに過去の煌めきに浸って「心は」あの頃のままだったとしても、行為の結果は今の社会に現れている。

 

「最近の若者は」という言葉を吐きたくなるときは、一呼吸置いて「最近の若者が生きる社会を作ったのは」と考えるといいかもしれない。いつの時代も子供や若者は、その社会で必死に生きているだけだ。

 

もしも最近の若者がふがいないのだとすれば、その若者の生育環境――社会を作り出した自分たちの責任についても同時に振り返るべきだろう。

 

そしてまた、責任をとれる大人だからこそできることもあるだろう。場合によっては互いの背中を任せ合い、現実と向き合い、なにかを作り出すこともできるかもしれない。