野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

人間様、春ですよ、と鳥が鳴く

コロナで人間界は様変わりしたけど、自然界は通常運転のようである。窓の外から、春の鳥の鳴き声がする。あれは、ウグイスなのだろうか。なんとまあ、うららかで平和な響きなのか。平常時だったら、うーん春だねえ、と独りごちるんだろう。

 

本日、神奈川県は晴天であった。よく利用する路線に、「田奈」という駅がある。自分がその駅で降りることはないけど、その駅から見える景色は最高だと思っている。高いビルがない地域だから、空が広く見えるのだ。今日、そこから見えた景色も最高で、穏やかで、平和的だった。春の夕空は、人間の街をゆるやかに照らしていて、小高い場所にある民家の窓をオレンジ色に輝かせていた。

 

人間界の現実は厳しさを増し、停滞感を漂わせるけど、そんなことは人間以外にとっては、たいして関係のないことなのだ。そんな事実が、どこかもの悲しく感じられたが、それはただの個人的な感傷なのだということも、また事実である。

 

多くの商業施設で、週末の営業休止が発表されている。自分がよく行く施設も、軒並み休業である。よって、どこにも行けない。本屋も開いていない、喫茶店も開いていないでは、どこにも行く当てがない。それでいいのだ。それが時代の要請であり、社会の要請である。小池さんも言っていたことだし、黒岩さんも言っていた。

 

今よりずっと時間が経ち、もしもその時の自分が笑えていたら、この時分のことを思い出して「大変だったなあ」と呟くんだろう。

今を粛々と

新型コロナウィルスの影響が、世間を席巻している。

 

こういう状況になると、「いつも通りに生活できること」がどんなにありがたいかを、身をもって実感する。普通の生活は、普通の人たちが、普通に働いて、生きて、暮らしていないと、成り立たないのだと。ほかの人たちの生活があってはじめて、自分の生活も成り立つ。

 

今後、経済的にもかなり厳しい状況になっていくと思う。世界的に大規模な金融崩壊が起こるという人もいる。そして、その結果として、まるで戦後のような状況になる、とも……恐れすぎてはいけない。でも、然るべき対処はあらかじめとっておく必要があると思う。

 

だからこそ、事前にやっておけることはやっておきたい。政治レベルといえば、消費税の凍結(減税)は不可欠だと思っているし、そのほかの保障も必要だ。とにかく、大きなダメージを負うのは明々白々なのだから、そのダメージが深刻すぎるものにならないよう、手を打っておかないといけない。

 

www.youtube.com

 

正しい情報を仕入れることと、それに振り回されないこと

正直、自分もかなり怖い。将来、今やっている仕事が続けられなくなるんじゃないかと、恐怖している。まあ、そうなったら、自分以外の人間も職を失っているだろう。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」じゃないけど、もうそういう状況になったら、仕事の存続うんぬんなど考えても仕方がないかもしれない。

 

まあ、とにかく怖いので、情報をあまり入れすぎないように気をつけている。自分で選ぶ情報はそれなりに信頼の置けるものだ。そして、その情報発信者は、使命をもって情報を我々に届けてくれている。でも、毎日そういった危機を訴える情報に触れていると、はっきりいって精神的に参ってしまう。自分で言うのもなんだが、かなりナイーブな方なのだ……。

 

こういう時期は本当にむずかしいが、正しい情報を入れて対処をしつつ、でも情報に振り回されないように気をつけることが大事だな、と思う。

 

現在を粛々と生きたい

未来から重たく、分厚く、暗い雲がやってくるような状況。そんな今、どんな姿勢で生きればいいのか、どんな心境で生きればいいのか、折に触れ考えている。

 

今はとにかく、未来に大きな損失があるとしても、できることをやり、対処すべきことは対処し、その上で現在、ここにある時間を粛々と生きていきたいと思っている。未来のために、現在を犠牲にすることもない。現在は現在として、生きないと。

 

その上で、できることをしたいと思う。たとえ、それが実を結ばず、水疱に帰すとしても。