【随筆】半ドンとチャーハンとふとん
記憶の中に、こびりついているシミがある。その記憶のシミに触れると、たちまちあるイメージがわき上がる。それは、土曜日の午後。昼下がりの柔らかい日差しがベランダから差し込んで、眠たいような眠たくないような、なんだか不思議な感覚と一緒にチャーハンを食べた。チャーハンは決して上等な代物ではない。たしか、ご飯もぱらぱらでなくて、たまごも固くて。でも、文句は言わず食べたのだ。なぜか懐かしいその記憶が、僕の中である一定の価値を占めているらしい。
思えば、僕はゆとり世代の一つ前の世代だ。土曜日の午前中に授業があったこともあった。いつ、土曜日に授業が無くなったのかは分からない。だが、あの不思議な解放感も同時に失われてしまった。
あのチャーハンと陽光のイメージ。照明が消えた少し薄暗いリビングで、日差しだけの明るさが少年の頬を照らしていた。
あの光景の中で、特別な匂いを嗅いだ気がする。あれはなんだったのだろう。
きっと、ふとんが干されていた。いや、干されたふとんに昼飯のあとに寝転んだのか。その匂いが薄い残滓となって、脳の薄膜にこびりついているのだろうか。
安心感と解放感と、なぜか特別に感じられた半ドンの午後。あの時間を懐かしいと思わないわけがない。
でも、僕はもうあの匂いを感じることが無くなってしまった。
もうあの場所へは帰れない。
太陽はあの頃と変わらないはずなのに、こっちは随分と変化したようだ。
公園で遊ぶ子供たちの笑い声が、やけに心を和ませるくらいに。