旧友が来た
父親のフィルムカメラを小さい頃からいじっていた。このフィルムカメラはまったく使われないで、アップライトピアノの上に置かれていた。ふとしたときに、手にして、カシャカシャとシャッターを切っていた。別にそれでなにができるわけでもないのに、僕の耳には「カシャコン」という音が心地よかった。
仕事でカメラを使う必要がありそうで、どうせなら写真を趣味にしてしまおうと思った。その他の趣味は、小説を書くことと、読書くらいで、ちょうど外界との接触を持つにはいい趣味だと思った。
デジタルカメラも持っているが、なんとなく、違和感がある。デジタルカメラといっても、いわゆるコンデジと呼ばれるもので、デジタル一眼レフではない。
コンデジのあの画面を見ながら撮影する感覚がどうもなじまない。いちいち電源を入れるのもいやだし、「シャラリン」とか言って起動音が鳴るのもなんか嫌。
ということで、撮りたいときにすぐ撮れて、なんだか味わいもある、このカメラを引っ張り出した。
父親は「もう使えないかもしれない」と言った。でも、修理すれば使えるような気がした。それに、久しぶりに構えてカシャカシャやっていたら、なんだか心地が良かった。よく考えれば、こいつとはもう二十年以上前から知り合いだしな。使ってみたいと思う。
修理には金が要るだろうし、まずは金を貯めよう。それから、修理してくれる業者に頼もう。もう、見つけてある。見積もりで、とんでもない額を言い渡されたら、どうしよう。まあ、なんとかなるだろう。
アンティークやらを集める人間の気持ちが、分かる気がする。昔のものには、哀愁に似た感情が湧く。この感情の正体はまだ分からないけど、気持ちに素直に従うのもいいだろう。