野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

灯をつなぐ

 

 

 私たちは命を持っている。その命とは、長い年月を経て受け継がれてきたものだと言っていいと思う。


 命だけではない。私たちの周りにある様々な文化や景観も、受け継がれてきたものだ。もちろん時代の変遷とともに少しずつ、時に大きく変わってきたこともあるだろう。


 私たちは受け継いだものを享受している。そして、その中で生活を営む。そしてまた、知らず知らずの間に何かを伝えている。

 

 それは松明に似ている。
 松明の灯は、少しずつ分け与えられる。伝わっていく。

 

 優しさや、愛とやらも、長い時の中で伝えられてきたものなのではないか。
 何かの形をもって、人は人に伝えるべきことを伝えてきた。

 

 ここに生きている人たち。
 その人たち全員が松明だと言っていいと思う。

 

 時に灯の光は目印になる。
 迷った人間を照らす明かりになる。
 何気なく呼吸をしていても、人は誰かを導く可能性を持っている。

 

 時に大きな闇にとらわれることがある。
 しかし、その闇の中でこそ、光に気付くことができる。
 星は宵にしか見えない。
 太陽が輝いている間にも星は光っているが、あまりにも陽光が激しいので可視できない。
 闇の中でこそ確認できるものもある。

 

 その中で気付いたことがあるのなら、どうかそれを大事にして欲しい。
 実体験に基づく気づきこそは、人を導く灯になるかもしれない。
 そしてその灯は知らず知らずに誰かから受け取ったものなのかもしれない。

 

 命が無意味なものであるわけがない。


 
 ひどく辛い苦境に遭っている人がいる。
 彼らはその中で何かを見つける役割を持っているのではないか。
 そして、そこで得た何かは伝えられるべきことなのだと思う。

 

 伝えられなければ、当然途切れてしまう。
 そうしたら、また、一から出直しだ。

 

 だからこそ、私たちは伝え、伝えられ、共有するのだ。
 それが学びなのだと言えるかもしれない。

 

 無意味な命など一個もない。
 なぜなら、皆、何かを受け、伝える役割を持っているのだから。

 
 私たちは常に何かを見つめている。
 そして、何かを発見しようとしている。

 

 命という灯に乗せて、何かを伝えようとしている。

 

 命は受け継がれる。
 そしてまた、命にとって必要なことも受け継がれる。
 そう願う。