野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

雑記 「手仕事」

最近、柳宗悦バーナード・リーチなどの仕事に関心を持っている。それはもともと日本の文化に関心を持っていたからでもあるが、「手仕事」の立ち位置というか存在意義について考えてみたくなったからだった。

 

手仕事の日本 (岩波文庫)

手仕事の日本 (岩波文庫)

 

 

『手仕事の日本』の冒頭部分で、柳は「手仕事」には機械を使った製造とは違って、「自由と責任」が保たれると言っている。「自由と責任」が仕事に悦びやなにかを創る楽しみをもたらすのだと。逆に、機械製造においては、どちらかというと「機械に人間が使われるように」なり、働く悦びが奪われやすいと指摘している。

 

経済効率を優先するならば、機械を使わないわけにはいかない。実際に、現在の社会は機械なくては廻らなくなってしまった。だが、それで損なわれているものも確かにありそうだと、この本を読んで思う。とくに、「機械に使われる人間」という構図は、昨今の社会に顕著にあらわれているようだ。生きているようで、生きていない。そんな感覚を持ちながら呼吸を続けている人は多そうだ。

 

ただ、町工場などの職人の仕事には、機械を使うといっても「手仕事」の要素がある気がするが。

 

今後、AIなども導入されて、社会から人間の仕事の領域が縮小していきそうだ。だが、もしかしたらその「残った場所」にこそ、人間らしさが、人間にしかできないものが見つかるかもしれない。

 

仕事は本来、楽しいものであっていいはずだ。だが、「働くことは我慢」だと考えている日本人はきっとものすごく多い。「死んだように生きている」と訴える方々がいることも確かだ。そういった記事をよく見かける。

 

今後、人間が自らの手を動かしておこなう仕事はどうなっていくのだろう。もしかしたら、「手仕事」の価値を再確認しないと、いずれ消えてしまうのかもしれない。継承すべきものが継承されず、いつか忘れサラ手しまうのだとしたら……それは、寂しい気がする。

 

だからこそ、見つめないと発見できないことを、見ておかないといけないと思う。