野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

関わり

自分ひとりの脳みそではどうにもならん。自分のことも。

だから他者の存在がありがたい。

他の人の考えが聞けるだけではない。自分のなかにある考えそのものも、別の角度で見ることができる。そして、自分自身の弱点やクセに気づくことができる。

それは、コミュニケーションを交わすことでしか生まれない作用だ。

 

昨日から商店街に笹の葉が置かれた。

子供たちも大人たちもわいわいと楽しそうだった。とくに子供たちは、笹の葉にカラフルな短冊をかけることを、心底楽しんでいるようだった。

もし、七夕という文化がなくなってしまったらどうなるだろう?

それだけコミュニケーションが少なくなるだろう。七夕というずっと昔から続いてきた文化は、大人と子供をつなげるだけでなく、今はここにいない人たちをもつなげる。

「わたしが小さい頃も、短冊に願い事を書いたのよ」

そうやって、子供と大人が交流する。織り姫と彦星の物語を共有する。そうやって、ずっと昔からこの地には人が生きていた、という事実を実感する。

 

人ひとりが生きるということは、無数の存在との関わりだ。そして、支えられ、いろいろなものを借りながら、生きるしかない。

関わりをなくせば、生きていくことはできない。それを、弱いとは言えない。強いとも言えない。ただ、そういうものだ、ということだけだ。

関わりは現在進行形のものもあれば、過去からのものもある。文字は過去の人間が生み出し、継承してきたもの。食文化も住文化も、なにもかも、変遷を経ながら受け継がれて、いまここにある。良くないものさえ、ここにある。

 

関わりをなくせない人間にとって、関わりを生み出す文化というものは、なくしてはいけないものなのだ。

文化を活かす

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伝統には物語がある。何代にもわたって受け継がれる。そして、過去の人間の暮らしに思いをはせる。昔の人もこうやって生活したのだろうか、と。どうやって生活したのだろうか、と。その土地、その歴史に思いをはせるほど、完成された美。

 

ざっとネットを調べたら、伝統や文化がどんな役割を果たすのか、がちょっとだけ見えてきた。

伝統を継承すべき理由とは一体なんなのでしょうか? - 新指導要領で、書... - Yahoo!知恵袋

http://www.maff.go.jp/j/nousin/soutyo/binosato_gaidorain/pdf/074p079s4s2.pdf

https://www.city.taito.lg.jp/index/bunka_kanko/torikumi/teigen.files/015254_000001.pdf

 

・伝統は、別々の世代を繋ぐもの、別々の地域を繋ぐものである。

・文化は、生活に潤いとゆとりをもたらし、価値観やライフスタイルの源泉となるもの。

・人間が互いに理解し合い、コミュニティ形成の土台となる。

・地域の魅力を育み、産業・経済の活力を生み出す源。

・地域の土地を保全する役割

・新たな技術の創造

 

つまるところ、伝統文化は守り継ぐべきちゃんとした理由があるということだ。人と地域をつなげ、別々の人間同士をつなげ、さらに都市部の人間をも魅了し、コミュニケーションやコミュニティの土壌となる。地域を守り、価値観醸成の役割もある。

 

ゆえに、それを守ることは、生活や人生を守ることだ。豊かにすることだ。

しかし、残念なことに、一度継承が途絶えた技術や文化は再生するのがとても難しい。いま、大事にしておけるものを大事にしないと、きっと後悔する。

自国の伝統のものを使わないなら、代わりに海外から輸入したものを使わなければならなくなる。そうなると、結局本質的にはその国はその国ではなくなる。

 

もちろん時代も世相も変わっていくので、「全く同じように」伝えることは不可能だろう。だから変わっていく必要はあると思う。

とにかく、これだけ多くの理由があるのだから、伝統も文化も、受け継いでいきたい。そして、現代の日本人の生活のなかで伝統や文化が息づくようにしよう。

 

伝統文化や伝統工芸、伝統芸能を日常のなかに「楽しんで」活かすアイデアが必要だ。非日常のものでは定着しない気がする。文化は日常生活のなかでこそ、生きて欲しい。

 

柳田国男も「生活は楽しいもの」なのだと言っている。

生活時間を「消費」するようになってから、いろいろなものがおかしくなってきたのかもしれない。ならば、生活を「生きる」必要がある。

 

自らを生かし、他者を活かす。そんな循環が生まれたら、いいなあ。