【詩っぽい文】あしあと
君が当たり前に生きた証は、もうこの世界から消えてしまったよ
それでもどこかに息づいていると思いたい
だが、それがなんになるというのか
しかし、それが「なにか」になるということになんの意味があるというのか
形作られないものにだって存在理由はあるのだ
僕たちが生きている世界では明確さを求めているよ
単純化できるものばかり信じられるよ
どうやら「帰結」が大事らしい
共通項しか、共有されない
でもそれは、とてもカサカサしたものだよ
あの人のなんでもない小言も空中に舞っていく
はっきり示せるものがいったいこの世の中にどれだけあるのか
夕方のいっとき、親子が交わす言葉は空に舞うようで
その実こころにしみ込んでいくものであったりする
僕が思い出すのは、友達と交わした何気ない会話だった
君の生活のなかに、そういったものがたくさんあったのだろうと
いまは思う
ねえ、君にとっての当たり前っていったいどんなものだったんだい
でも、それはもうここにはないんだね
だから僕らは、時代を下ってからだったとしても、近づきたがるんだ
なぜなら、君たちの当たり前の上に、僕たちの当たり前が存在しているから
君の涙のシミがある石畳を、君の笑顔が浮かんだ田畑の水面を
眺めてなんになるかわからないけど
どうしても覗きたくなるのは
僕たちも君たちの命を受け継いでいるから
ほんとのところ
このブログでは、真面目なことばかり書いてきたけど、本当のところ僕はかなりふざけた部分を持っているので、ちょっとこのブログは嘘くさいな、とも思います。
たとえば、夜中に変わった妄想をして、ひとりで笑っていることもある。正直、ほかの誰かが見たら、かなり不気味だと思う。
「飲食店において、店員も全自動でベルトコンベアに乗って、配膳とかレジとか接客とかするようになったら、どうなるだろう?」と考え、その光景を妄想したら、かなり笑えたのである。
店内入り口付近に椅子があるので、そこに座っていると、店内アナウンスで「3番椅子の方、移動します」と知らされ、自動で移動がはじまる。そして、客席につく。水はセルフ。
客席は全部仕切りがついている。そして、ボタンを押すと店員が目の前までベルトコンベアで運ばれてくる。「ご注文はお決まりですか?」と愛想がべったり張り付いた顔で訊いてくる。「とんこつ」と頼むと、「あっさり目ですか?濃いめですか?」と訊いてくるので、「あっさり」と答えると「あっさりレベル1~8あります」と訊かれるので、「5」と答える。
店員は「かしこまりました」と頭を下げながら、ベルトコンベアに運ばれていく。
待っているあいだ、他の客を対応する店員Bや店員Cが目の前を流れていく。彼らの笑顔。目だけ笑っていないよく訓練された笑顔。
数分後にまたベルトコンベアに運ばれて店員がやってきて、「お待たせしました」とどんぶりを置くやいなや、またベルトコンベアに流されていく。
食べ終わると、「会計ボタン」を押す。すると、また自分の椅子が自動でレジまで動いていく。それと同時に、店員が奥からレジまで運ばれてくる。
会計を済ませると、店員は「ありがとうございました」と頭を下げて、どこかへ流れていく。外に出ると、さきほど挨拶を済ませた店員が、ずっと頭を下げながら、店の裏口に流れていくのだ。
文章にすると、なんだか不気味だが、頭のなかで光景を想像すると、すごく笑える。
でも、これはたぶん自分のなかだけで面白いことなのだろうな、と思う。