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野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

思わぬしがらみ

男性・女性の違いってなんなのだろうなあ、と考えることがある。

 

僕はけっこう、顔は男らしいというか野暮ったいというか、そんな顔をしているのだけど、着たい服は柔らかい印象の服が好きだ。ナチュラルとかラフとか、自然体とか、そういったものが好きだ。しかし、自分には似合わないと分かっているので、仕方なく選別することにしている。

 

かわいい顔をしていれば、もっと柔らかい印象の服を着ることもできるのに。

求められていることが、違うなあ……。

 

歴史の決めごと

 

男性に求められるものや、女性に求められるものってどう決まってきたのだろう。

もしかして、文化人類学とか勉強すれば分かってくるのかなあ。

 

たぶんだけど、歴史的に社会の中で求められていたものを引きずっている可能性は高い。

 

よく知られている話だけど、日本は昔は“家”をすごく重んじていたらしい。“家”という基本単位がすごく大事だった。それは地方も都市も変わらない。だから、長男には重い責任がともなう。

 

でも、時代は変わったんじゃないのか?

僕は変わっていると思う。別に伝統を蔑ろにしていいと思っているわけではない。でも、本当にその伝統は「守るべきなのですか」と、問いたくもなる。もしかして、案外よく考えもせずに習俗を受け容れていないか。それはそれでいいけど、誰かの人生に文句を言うときに、「伝統だから」って文句で強要するのは卑怯だ。もっとよく考えて、本当の意味も、ちゃんと説明できるようになってから、伝統を引っ張り出してきてほしい。

 

僕は、今の時代、もうほとんど自由に生きて良いと思っている。

でも、日本人は相変わらず旧態依然の習慣を背負うことに必死だ。

組織に属して生きることが善で、歳をとったら家庭を持つのが善で、他人様に迷惑をかけないことが善で、安定的に暮らすことが善で。

別に、それは否定しないけど、それ以外の選択肢があるってことだって、認めてもいいのではないかなあ……。

 

心理学に面白い話があって、人間は日々自分が同じように続けていることを善だと思って行動するらしい。

 

今までの人間がやってきたから。

今まで自分がそう思ってきたから。

だから、変わらぬものを続ける。

 

変わらないものだって大事なんだけど、変わっていく必要だってあるのだろうと思う。

 

けっこう意固地になっちゃうクセ

 

人間って、結構自分の枠から離れるのが難しいのかなって思う。

それは、僕もそうだ。

こんなこと考えなくて良いのにってことを考えるし、思い出したくないことを思い出すし、いい加減にしたいことは山ほどある。

 

たとえば反原発の問題がある。

色々な意見がある。

それは、いい。

だけど、僕は反原発を言う“だけ”のひとたちはあんまり好きになれない。

 

「危険だから止めなきゃ。福島の人たちの気持ちを考えなきゃ」

それは分かる。動機としては十分。

でも言うだけは、やめてほしい。

 

僕たち日本人は電気に頼って生きている。

電気がなきゃ、何も回らない。

医療も、交通も、流通も、生産も、農業だって。

だから、今は火力発電に頼っている。

 

でも、火力発電の燃料は多くは中東から持ってきているそうだ。

中東って言えば、ISの問題がある。

ISは日本のことも睨んでいる。それだけじゃない。もともと、中東は何かと不安定だ。

ホルムズ海峡を越えて、船で運ばれてくる燃料。

その海峡が閉鎖されないという保障はどこにあるのだろう。

もし、閉鎖されたら、どうするのだろう。

 

知っての通り、電気は在庫がない。

つまり、蓄電技術が乏しいばっかりに、今作って今使っている状況だ。

そんな状況で発電が止まれば、どうなるのか。

そのときだけ原発を使うのか。

そもそもそんな簡単に稼働できるのか。

 

そういう状況だってある。

 

もちろん、僕は将来的に原発を廃止するのはいいと思っている。

それが可能になるのならば。

 

たとえば、こんな話がある。

水力発電はダムを使って発電するわけだけど、ちょっとダムのかさ増し工事を行うだけで、けっこう発電量が増すらしい。位置エネルギーが増すから。

現在水力発電の全体に対するシェアは8%くらいらしいが、ある試算によれば、そのかさ増し工事だけで30%まで持っていくこともできるとか。

しかも、今現在、全部のダムに発電の施工が施されているわけでもないので、さらに施工すれば、もっとシェアは増すかもしれない。

 

こういう話を、したいんだ。

もっともっと現実的に。

 

それこそ、本当に原発を止めたいなら、もっと情報を集めたいんだ。

でも、本当にこういった現実的な数値やデータを用いて、真剣に考えている人ってどれくらいいるのだろう。

 

僕たちは案外簡単に「仮面」を被る。

誰かを糾弾し、良い立場に立つのには、有効な手段。

「反原発」でも「フェミニズム」でもいいけど、本当に守りたいものはなに?

自分じゃないの?

 

そうならないようにしたい。

 

へこたれたっていいけど、また進もう

 

理想的に生きるのってとっても大変だ。

でも、それを目指してひたむきに生きるのっていうのが美しい。

 

振り返ってみれば、失敗だらけの歴史だった。

それを見て、もうこんな人類やめにしちゃえばいい。

そうした方が、地球のためだって言う人がたまにいる。

 

でも、それは駄目でしょ。

もし、やるんだったら、尻ぬぐいを全部やってから滅びないと。

「あとのことはよろしく。全部よくわかんないけど、俺たち消えた方がいいみたいなんで、消えるわ。本当ごめん。あとはよろしく」

とか言うのか。

 

僕が、他の動物だったら、「死ね!!」って言いたくなるわ。

「借金全部完済するまで、逃がしませんでえぇぇ……? 舌引っこ抜くのはその後ですわ。じーっくり苦しんでくれますか?」

そう言いたいわ。

 

もう、逃げられないはずなんだ。

自滅するか否かの瀬戸際かもしれない。

でも、目指すのは相変わらず綺麗な光景なんだと思う。

 

僕たちはあんまりにも愚かだけど、続けるしかないと思う。

 

慣れてしまったことを続けたくなるのは当たり前で。

信じたいことを信じたいことも当たり前。

見たいものだけ、見たいのも。

 

でも、ときどき、自分の中にあるしがらみから、抜け出す勇気だって必要になるのかもしれない。

「本当に守りたいもの」のために。