街並み
広井の『コミュニティを問いなおす』という本を読んでいる。
コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来 (ちくま新書)
- 作者: 広井良典
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/08/08
- メディア: 新書
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広井は「現在の日本の都市は、残念ながら世界的に見てもっとも醜悪といわざるをえない状況にある」と言う。これは否定のしようのないことであろう。海外に出たことのない僕でも常々思っていることであるし、多くの人が思っていることだと思う。
雑然としたビル群、歓楽街……そういったものにある種の愛着や哀愁のようなものを感じることもあるかもしれないが、それと「客観的に見て美しいかどうか」はまた別の話である。そして優先すべきは特殊な愛着なのか、それとも一般的な人間が感じる快適さなのか、と問われれば、おそらくそれは後者であろう。
本のなかではさらに注目すべき点が指摘される。ヨーロッパなどの都市部においては、列車で5駅ほども行けば田園風景が広がるというのだ。日本の都市部においては、なかなかそういったことはないだろう。
田園風景というのは、人の心をなごますものであることは言うまでもない。そういったものに比較的たやすくアクセスできるというのは、大きいと思う。ストレスの緩和にも役立ちそうだ。
日本の都市部がこういった状況になってしまったのは、高度経済成長期に都市計画などを立てることができなかったことも大きいだろう。さらにその時期に人口が一気に集中した点も大きい。こういったことから、日本の都市部というのは、(おそらくは)かなりストレスフルな景観となっているのであろう。
さらに人口密度は高い割に、サラリーマンの通勤時間は長い!
逆に考えれば、都市のあり方を考え直し、調和のとれた建設物が立ち並ぶように計画したりすれば、かなり過ごしやすい環境が作られる可能性が高い。もしかすると、道路や交通も見直せば、もっと快適になるかもしれない。
個々の人間がいまよりもぐっと過ごしやすい環境で働けるようになれば、当然ひとりあたりの生産性は高まるだろうし、会社全体としての生産性も高まるだろう。そして、それは国家の安定にも繋がる。
もしかすると、ちょっと考え直して工夫をこらすだけで、この日本社会はぐっと暮らしやすい場所に変わるのかもしれない。僕はそんなにこの社会は捨てたものではないし、日本人も捨てたものではないと思う。ただ掛け違えたボタンが多すぎる。それを修正していくだけだ。ただ、あまりにも数が多いので時間はかかるし、場合によっては金もかかるだろう。
だが、必ず希望はある。逆に言えば、闇の深い時期には光を見つけやすい。それを大きくしてくだけである。
死んだ言葉が溢れる世界
実は僕は「キモい」という言葉がかなり苦手だ。過去、自分の容姿について自信の持てない時期に(いまも自信はない)、「キモい」と数回言われてかなり傷つき、それ以後「キモい」という言葉が聞こえると、自分のことかもしれないと思うようになってしまった。
だが、最近になってどうも若い人たちは「キモい」という言葉をそんなに重い言葉として使っているようではないことがわかってきた。つまり、かなり軽い気持ちで「キモい」「キショい」などと発言することがあるようだ。
そこで、ネットで簡単に検索してみると、やはり「キモい」という言葉が世の中にはびこっているという印象を持っている人たちが多いことが分かる。
一つ目のブログで書かれていることは妥当だと思った。すなわち、「キモい」は簡単に使うことができて、しかも感覚的な言葉なので「なんでキモいの?」と反論されても「だってキモいんだもん」で済ませることができる。ある意味では最強の言葉である。しかも、他人と自分を区別して、自分はなにも努力しなくても、相手より上の立場に置くことができる。攻撃力が高い。
その浅ましさと醜悪さが、嫌いなんだ。
そして、そんな言葉の使用が低年齢化しているという事実。最近ではうちの母親まで使い始めた。本当にやめて欲しいのだが、とがめることができない。
自分が言われて傷つき、気にしているからかもしれないが、やはり「キモい」という言葉には、本当に残酷なものを感じる。自分と対象に距離を作り、その上で相手を下げる。そして共通の仲間と結託して、相手を孤立させる。そういう人間としての浅ましさ全開の言葉を、みんなが軽々しく使っている。
たぶん、相当ひどいところまで来ているのだと思う。それは、いままでの日本社会があまりにも経済効率を優先して、必ずしもお金に繋がらない文化や言葉、そういった人の心を形成する大事なものをないがしろにしてきたからだろう、と考えている。文化や言葉は、自分と他者を繋げるものであり、そして想像力を広げる機会でもある。そういったものが、あまりにも欠如しているのではないか。
灰色の街並みに、灰色の言葉が浮かんでいる。排気ガスを吸って、有害なガスを自らの口からまき散らす。それはもう公害である。