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野暮天堂

旅は道連れ、世は情け

見る世界はそれぞれ

スケッチブック 1 (BLADE COMICS)


 『スケッチブック』という漫画を原作にしたアニメを見たことがある。
 その中で印象的だったエピソードがある。

 

 ある日、主人公の空(そら)は、美術部の写生大会に出掛ける。と言っても、その日は雨の予報で、実際に参加したのは空と先輩の栗原だけ。そして、面倒くさがり屋の先生。彼女らは、一路、山へと向かった。
 栗原は無類の虫好きで、山につくと、はしゃぎまくる。空もまんざらではない。まあ、そんなこんなでまったりとエピソードは進んでいくのだが、あるシーンで僕は不覚にも感動してしまった。というか、自分が考えていたことを代弁してもらえたようで、嬉しかったのだ。

 

 そろそろ雨が降ってきそうな頃、空は山から見える風景を描いていた。遠くの山々が、だんだんと霞んでいき、その姿を変える。そんなとき、一羽の鳥が空の目の前を低く飛び過ぎる。「低い」……飛んだ鳥を見た空は疑問を抱く。栗原が「雨が降ってくるね」と言った。「虫が低く飛んでいるから」と栗原は何気なしに言う。ますます空には分からない。「虫の羽がね、水分を含んで重たくなっちゃうんだ。だからそれを餌にしている鳥が低く飛ぶんだよ」。空の見ているものと、栗原の見ているものは違う。同じ場所にいても、同じ景色を見ていても、見ているものは人それぞれなのだ。

 

 その頃、同じようなことを考えていたから、僕は嬉しかった。「ああ、同じこと考えている人がいた」。
 その頃の僕は学生だった。でも、なんだか他の人間と同化するのも嫌で、でもはみ出すのも嫌で、自分の立ち位置を見定められずにいた。いや、サークルにも入らず、ただ漫然と大学生活を送っている自分自身に懐疑的だっただけかもしれない。大学が終わるとバイトをして、それ以外の時間は一人で過ごすことが多かった僕は、色々と考えた。考える時間だけはあった。
 「みんな同じ場所にいて、同じ空間にいるけど、考えていることや見ているものは違うよなあ。今は一緒にいるけど、もう少ししたら別々の道を行く。今だけだよなあ」と、大学の友達の顔を思い浮かべながら、そんなふうによく考えていた。

 

 学校は、交差点のような場所だと思った。一時的に集まっているだけで、時間が経てば別々の道を歩く。同じ空間にいても、考えていることは違う。見ている方向も違う。
 実際に、就職活動の時期になると、周りの人間が変わっていくのを感じた。いよいよ現実的に「将来」というものを考えないといけない時期になると、本人がどんなふうに人生というものを捉えているのかが浮き彫りになるようだった。よく一緒にいた友達は、就職活動の鬼と化し、全く活動しない僕に苛立ちをぶつけた。みんな、見ているものが違う。


 僕は結局、「公務員試験を受ける」という逃げの道を選択し、その後ちゃらんぽらんな人生を歩むことになる。卒業間近の学食内のマクドナルドで、就職の鬼のようだった友達は就職活動から解放され、今度は菩薩のように僕の選択がいかにリスキーかを説いた。僕は耳だけ傾けて、心は閉ざした。
 あの頃の僕は、見ているものがそれぞれ違うという事実は把握していても、どこかで友達に理解して欲しいと傲慢になっていたのだろう。
 あの頃の僕は、あの友達のことが嫌いだった。


 しかし数年経って、あの頃のことを思い返してみて、友達の立場になって考えてみたら、「ああ、あいつがああいうことを言うようになったのにも理由があったのだなあ」と思った。彼には彼女がいた。バイト先で出会った彼女は、いわゆるブラックな職場に就職していたようであった。当然、彼はそんな彼女の状況を憂いていたに違いない。彼の左手薬指には指輪があった。もしかして、結婚を考えていたのかもしれない。だとすれば、彼の中には「少しでもいい会社に入って、彼女と結婚したときに楽をさせてやりたい」という考えがあったのかもしれない。さらに彼は二浪していた。そんなこともあって、将来を真面目に考えれば考えるほど、厳しい就職戦線において、少しでも有利に立ち回るため、情報を獲得するために就活サークルに入り、説明会にもたくさん出て、一生懸命になっていたのだ。
 あの頃の僕はそんな彼の事情を鑑みることもできず、自分の殻に閉じこもっていた。ただただ、「彼は変わってしまった」と嘆いていた。そして、そんな流れの中で何もできないでいる自分を罵ってもいた。
 結果、彼と僕は全く別の道を行き、もう音信は途絶えた。


 もう、彼の道と僕の道が交錯することはないだろう。彼の見ているものと僕の見ているものが交錯することもないだろう。
 彼だけじゃなく、学生時代の交流はほとんど途絶えた。しかし、それを寂しいと思わない僕がいる。
 「やはり、あそこは交差点だった。人生の交差点だった」
 そうつぶやきながら、納得する時間が増えた。

 

 同じ景色を見ていても、考えていることは別々。人というのは基本的にそういう生き物だから、別に絶望する必要もないのだが、たとえば「理解しあうことは大事だ」とかいう文句を聞いたときには、ついつい「それってどういうこと?」とたてつきたくもなる。所詮別々の生き方をしているのに、理解しあうとはどういうことか。それはいまだに解けない謎だ。

 

 僕たちはもしかして、ものすごい勘違いの中で生きているのかも知れない。
 そんな中でもなんとか生きていけるのは、素晴らしいことだ。
 互いを互いに勝手に勘違いしながら生きるとは、すごい生き物だ。

 

 僕は今日も、自分の眼鏡をかけて、勝手に景色を見ている。